今年は初めての庭木の剪定です。
カテゴリ : 日記
夏の大掃除
夏の大掃除
2022年7月11日晴れ、気温32度 連日暑い日がが続いています。久しぶりの大掃除です。
田中美創の方達が4名来てくれました。室内清掃と庭木の剪定を済ませて、スッキリ!
2022年7月11日晴れ、気温32度 連日暑い日がが続いています。久しぶりの大掃除です。
田中美創の方達が4名来てくれました。室内清掃と庭木の剪定を済ませて、スッキリ!
夢追いサミット
MBKで利用させていただきました
赤村ふる里再発見の旅
10月6日(土)
村人たちの信仰
まず訪ねたのは、「我鹿八幡神社」です。 「あが八幡神社」または「あか八幡神社」と読みます。
赤村特産物センターの前を川上に上り、吉永橋を渡って行くとすぐに右手に見えてきます。
この神社については、明治期に編集された「豊前国史」という書物に詳しく記載されています。
それによると「赤の郷というのは人皇第28代安閑天皇二年(532年)鷹羽群吾鹿(あか)に屯倉を置く・・(中略)
・・・この時、屯倉守護の神として保食神を奉り・・・」とあります。
どうやら我鹿屯倉の守護神というのが信仰の始まりと思われます。
またこれとは別に、吾勝野(あかつの)の伝承にまつわる吾勝野尊(あかつののみこと)を祀っており、
太古の赤村において地の神様のご加護や人々の信仰を集めたことに由来すると考えられます。
江戸時代の寛永7年(1629年)小笠原藩政で、上赤と下赤に村が分けられた際、一つの神社から分霊し、
光明八幡神社と我鹿八幡神社となったという記録が残っています。
赤村の地名の由来としては、吾勝野村(あかつのむら)が北部を「あか」と南部を「つの」として分かれて、現在の赤村と津野村(現在の添田町の津野)になったという説が有ります。
村人たちの信仰
まず訪ねたのは、「我鹿八幡神社」です。 「あが八幡神社」または「あか八幡神社」と読みます。
赤村特産物センターの前を川上に上り、吉永橋を渡って行くとすぐに右手に見えてきます。
この神社については、明治期に編集された「豊前国史」という書物に詳しく記載されています。
それによると「赤の郷というのは人皇第28代安閑天皇二年(532年)鷹羽群吾鹿(あか)に屯倉を置く・・(中略)
・・・この時、屯倉守護の神として保食神を奉り・・・」とあります。
どうやら我鹿屯倉の守護神というのが信仰の始まりと思われます。
またこれとは別に、吾勝野(あかつの)の伝承にまつわる吾勝野尊(あかつののみこと)を祀っており、
太古の赤村において地の神様のご加護や人々の信仰を集めたことに由来すると考えられます。
江戸時代の寛永7年(1629年)小笠原藩政で、上赤と下赤に村が分けられた際、一つの神社から分霊し、
光明八幡神社と我鹿八幡神社となったという記録が残っています。
赤村の地名の由来としては、吾勝野村(あかつのむら)が北部を「あか」と南部を「つの」として分かれて、現在の赤村と津野村(現在の添田町の津野)になったという説が有ります。