施設のご案内(室内の写真)
囲炉裏部屋
囲炉裏部屋
この自在鉤は年季物ですよ。
囲炉裏
木製の火鉢
凄いお宝かも?
1階廊下
1階廊下
土間
餅つきはここでします。
釜戸(かまど)
餅つきの時は大活躍。
蒸篭を使っての蒸し料理が女性に好評です。
木製の蒸篭(せいろ)
釜戸で蒸し料理に使います。
昔からあった蒸篭が壊れそうになったので、
夢追塾の5期生の八尋さん(木工房・木楽)に製作して頂きました。
七輪
これで秋刀魚を焼くと、格別です。
サザエの壺焼きも良いね。
1階洋室
1階洋室テレビ
カラオケも出来ます。
1階和室
1階和室
1階和室
研修、会議用ホワイトボード
スクリーンにも使えます。
昔、赤村塾が駅前商店の頃のレジ
神棚
1階炊事部屋
簡易水洗トイレ
洗面所
浴室
広いですよ。4畳半ほど有るかな。
浴室から庭が見えます
庭
枯山水の池の中央に居るのは、石で作った亀です。
庭
階段
2階和室
通して使うと、大宴会場になります。
2階和室床の間
寝具もあります
2階廊下
2階廊下
2階部屋
2階からの眺め(南側)
玄関
玄関
外観
赤村ふる里再発見の旅
10月6日(土)
村人たちの信仰
まず訪ねたのは、「我鹿八幡神社」です。 「あが八幡神社」または「あか八幡神社」と読みます。
赤村特産物センターの前を川上に上り、吉永橋を渡って行くとすぐに右手に見えてきます。
この神社については、明治期に編集された「豊前国史」という書物に詳しく記載されています。
それによると「赤の郷というのは人皇第28代安閑天皇二年(532年)鷹羽群吾鹿(あか)に屯倉を置く・・(中略)
・・・この時、屯倉守護の神として保食神を奉り・・・」とあります。
どうやら我鹿屯倉の守護神というのが信仰の始まりと思われます。
またこれとは別に、吾勝野(あかつの)の伝承にまつわる吾勝野尊(あかつののみこと)を祀っており、
太古の赤村において地の神様のご加護や人々の信仰を集めたことに由来すると考えられます。
江戸時代の寛永7年(1629年)小笠原藩政で、上赤と下赤に村が分けられた際、一つの神社から分霊し、
光明八幡神社と我鹿八幡神社となったという記録が残っています。
赤村の地名の由来としては、吾勝野村(あかつのむら)が北部を「あか」と南部を「つの」として分かれて、現在の赤村と津野村(現在の添田町の津野)になったという説が有ります。
村人たちの信仰
まず訪ねたのは、「我鹿八幡神社」です。 「あが八幡神社」または「あか八幡神社」と読みます。
赤村特産物センターの前を川上に上り、吉永橋を渡って行くとすぐに右手に見えてきます。
この神社については、明治期に編集された「豊前国史」という書物に詳しく記載されています。
それによると「赤の郷というのは人皇第28代安閑天皇二年(532年)鷹羽群吾鹿(あか)に屯倉を置く・・(中略)
・・・この時、屯倉守護の神として保食神を奉り・・・」とあります。
どうやら我鹿屯倉の守護神というのが信仰の始まりと思われます。
またこれとは別に、吾勝野(あかつの)の伝承にまつわる吾勝野尊(あかつののみこと)を祀っており、
太古の赤村において地の神様のご加護や人々の信仰を集めたことに由来すると考えられます。
江戸時代の寛永7年(1629年)小笠原藩政で、上赤と下赤に村が分けられた際、一つの神社から分霊し、
光明八幡神社と我鹿八幡神社となったという記録が残っています。
赤村の地名の由来としては、吾勝野村(あかつのむら)が北部を「あか」と南部を「つの」として分かれて、現在の赤村と津野村(現在の添田町の津野)になったという説が有ります。